紀州藩が生んだ徳川吉宗の生涯をユーモラスに描いたNHK大河ドラマ「八代将軍吉宗」や、大正時代の千葉県銚子市(ちょうしし)を舞台に、紀州をルーツに持つ醤油醸造元の娘と漁師の網元の長男との悲恋を追ったNHK連続テレビ小説「澪(みを)つくし」を手掛けた、脚本家のジェームス三木さんが、今月14日、肺炎のため91歳で亡くなりました。三木さんは、脚本家になる前、歌手としても活動し、和歌山ゆかりの曲を発表していました。
1955年、三木さんはテイチクレコードの新人コンクールで合格し、1958年ごろに発表されたシングル「憧れの奥新和歌雑賀崎(おくしんわか・さいかざき)」は、浪曲歌謡の名手・三波春夫(みなみ・はるお)さんが歌った「雑賀崎音頭」のB面に収録されました。
と沼島(中)中之島(右)(6月19日・和歌山市・雑賀崎).jpg)
歌詞には「夢を呼ぶ呼ぶ奥新和歌」「赤い夕陽が潮路の果てに、暮れる緑の双子島(ふたごじま)」「浦の漁り火、君を招くよ雑賀崎」といった、和歌山市の新和歌浦から雑賀崎にかけての情景がつづられ、郷愁を呼ぶメロディーと三木さんの朗々とした歌声が、熱海や伊勢などと並ぶ観光地だった頃の面影を感じさせます。
元・和歌山市立博物館の館長で、生前の三木さんとも交流のあった日本史研究者の寺西貞弘(てらにし・さだひろ)さん72歳は「大河ドラマ・八代将軍吉宗の時代考証を手伝った頃に、和歌山市内で三木さんと会食した際、“実は昔、憧れの奥新和歌雑賀崎という曲を出したことがあるんですよ”と話し、和歌山との縁があることを私に教えてくれました」と語り「山部赤人(やまべの・あかひと)らが和歌に詠んだ玉津島(たまつしま)や片男波(かたおなみ)が広がる本来の和歌浦は、水平線や砂嘴(さし)の平行線が折り重なる水平の景観美なのに対して、三木さんの歌った新和歌浦は、景観の美意識が転換する江戸時代以降に価値が高まった、山水画のような垂直の景観美が特徴で、和歌浦と新和歌浦は、異なる時代の歌とともに、中世と近世の景観美が隣り合って存在する貴重な場所といえます」としています。