戦後80年 4人が語る和歌山大空襲
2025年6月24日 18時55分
歴史・文化 教育 イベント

太平洋戦争末期に1100人以上が犠牲となったアメリカ軍による和歌山大空襲から来月(7月)で80年となるのを前に、空襲の体験者が記憶を語り継ぐ催しが和歌山市で開かれました。

空襲体験を話す上原ハツさん

これは、有志でつくる「和歌山市空襲体験を記録する会」が開いたものです。

和歌山大空襲とは、1945年(昭和20年)7月9日の夜から未明にかけて、アメリカ軍のB29爆撃機108機が飛来し、800トンの焼夷弾を落としたもので、和歌山市では、1100人以上が亡くなったとされています。

今月(6月)21日は、この空襲を体験した80歳から92歳まで、4人の女性が自らの体験を語り、市民などおよそ110人が耳を傾けました。

会場いっぱいの参加者

このうち、田端康子(たばた・やすこ)さん80歳は「頭に火傷の跡が残っていて、長く黙ってきたが、息子や孫に伝えて堂々とゆきたい」と語りました。永広兆子(えひろ・ちょうこ)さん87歳は、「干潮で川の中、弟と2人で肩まで浸かって、焼けていく世界を見ていた」と話し、上原ハツさん92歳は、「80年前の私の記憶を皆さん方に少しでも知っていただくことは私の使命であるかもしれません」と述べました。また、岩本冨紗子(いわもと・ふきこ)さん87歳は、「おじいちゃん、おばあちゃん、母と私で逃げた。母といっしょの時、防空壕の入り口に焼夷弾を落とされたが、川へ入って助かった。朝5時くらいになり、明るくなったら、いっぱい死体が浮かんでた」と話しました。

「和歌山市空襲の体験を記録する会」代表の髙橋克伸さん

このイベントを企画した、元市立博物館副館長で「和歌山市空襲の体験を記録する会」代表の髙橋克伸(たかはし・かつのぶ)さんは「これだけたくさんの人が来てくれると思わなかった。皆さんに聞き取りした話は、地域の歴史として、残っていほしい」と話しています。

市立博物館には、髙橋さんが聴きとった170人の肉声のデータが保管され、みんなに聞いてもらえるのを待っています。