日本サッカーの始祖「中村覚之助を知ろう」講演会
2025年7月6日 15時30分
教育

那智勝浦町の名誉町民で、日本に初めて本格的にサッカーを紹介した人物として知られる中村覚之助(なかむら・かくのすけ)について知ろうという講演会が、今月(7月)12日、那智勝浦町役場で開かれます。

これは、日本ヤタガラス協会が開催するもので、講師は、NPOサロン2002理事長で、元筑波大学付属高校教諭の中塚義実(なかつか・よしみ)さんで、演題は「日本サッカーのはじまりと中村覚之助―大戦前(たいせんまえ)のサッカー界をさぐる」です。

中村覚之助は、1878年5月、旧那智村(なちむら)、現在の那智勝浦町浜ノ宮(はまのみや)で生まれ、1902年、東京高等師範大学(現・筑波大学)に在学中に、アメリカの文献「アソシエーション・フットボール」を翻訳し、日本初のサッカー指導書として編纂(へんさん)しました。また、蹴球部(しゅうきゅうぶ)を創設して、日本最初の近代サッカーの試合を行ったとされています。そして、サッカーの普及発展のに向けた活躍をしていた矢先、病気のため、29歳の若さで急逝しました。

一方、日本サッカー協会のシンボルマーク「三本足の八咫烏(やたがらす)」は、熊野三山(くまのさんざん)の地、出身の中村覚之助にちなんで選定されたと伝えられています。

講演は、「日本ヤタガラス協会」総会終了後の今月12日午後1時半頃から、那智勝浦町役場大会議室で開かれます。詳しくは、日本ヤタガラス協会0735・58・0002で問い合わせに応じています。