昭和20年の「日高大空襲」を語り継ごうと、来月(8月)3日、御坊市の中央公民館で平和を考える催しが開かれ、当時、空襲を体験した女子生徒が制作した紙芝居を使って、県立日高高校の生徒が読み聞かせを行います。

「戦後80年、今こそ語り継ごう日高大空襲」は、旧御坊商工地理歴史・社会研究部1986年度卒業OB会が主催するものです。
日高大空襲は、1945年6月22日朝、美浜町浜ノ瀬で51人、御坊市名屋で21人、御坊市天田で8人がB29の犠牲となりました。
このうち、御坊市名屋の東弘子(あずま・ひろこ)さん当時13歳は、母親から「先に逃げなさい」と言われ、「お母さんも早く」と叫びながら、前を走っていく瞬間、爆弾が落ち、倒れた家の下敷きになって亡くなりました。

この時の様子を、東さんの同級生で、当時、学童疎開で千葉県から、御坊市に転校していた花澤玲子(はなざわ・れいこ)さん93歳が紙芝居の「泣かなわりぃやろかー少女たちの戦争―」にまとめています。
8月3日、当日は、花澤さんも来県し、当時、通っていた藤田小学校や道成寺などを訪ねます。
そして、催しでは、県立日高高校で、青少年赤十字として主にボランティア活動を行っているJRC部の生徒による紙芝居の読み聞かせを行います。
この後、花澤さんと主催者らが、対談することになっていて、御坊でのB29による爆弾投下や、艦載機による襲撃などの体験を語ってもらうことにしています。
主催する旧御坊商工高校・地歴・社研部1986年度卒業OB会の前山輝代(まえやま・てるよ)さん56歳は、「一人でも多く、若い人に参加してもらいたい。自分も同じような活動を一緒にしたいという子がでてくれば、うれしい」と話していました。

また、空襲で亡くなった東弘子さんの母親、静枝(しずえ)さんら家族による40年前の証言テープを紹介するほか、紙芝居を作った花澤さんと、静枝さんによる往復書簡も紹介することにしています。
ところで、40年前、部の顧問をしていた故・中村隆一郎(なかむら・りゅういちろう)さんと、小田憲(おだ・けん)さん74歳が、空襲で亡くなった、東さんの話を生徒と一緒にまとめ、1987年夏に「語り継ごう日高の空襲」と題して出版しています。

当時、顧問だった小田さんは、「催しは、40年ぶりのことだが、今後も続けていければ」と話しました。
「戦後80年、今こそ語り継ごう日高大空襲」は、来月3日、御坊市の中央公民館3階大会議室で開かれます。