ヒ素ミルク事件70年に誓う 「最後の1人まで救済」/高野山・和歌山
2025年9月7日 16時30分
社会

粉ミルクに大量のヒ素が混入し、130人の乳児が死亡した「森永ヒ素ミルク事件」から、今年で70年となり、高野町の高野山大学できょう(7日)、犠牲者を慰霊する式典が開かれました。

東京の森永乳業と被害者団体が主催したもので、1万人を超す被害者が高齢化する中、参列者は「最後の1人まで救済する」と誓い合いました。

式典には、被害者や森永乳業の社員ら、およそ60人が参列し、「森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会」の桑田正彦(くわた・まさひこ)理事長は、会員数の減少に触れ「唯一の被害者団体として責任を果たしていく」と語りました。森永乳業の大貫陽一(おおぬき・よういち)社長はあいさつで「恒久救済」を誓った上で、「社内で風化しないよう、研修を通じ継承する」と決意を表明しました。

1955年に起きた事件では、1万3千人を超える人たちが被害を受け、神経の異常や皮膚の変化が表れました。被害者が、高齢となり、障害の重度化や健康悪化が進んでいます。高野山には、犠牲者の菩提寺(ぼだいじ)と慰霊碑があります。