和歌山、奈良、三重の3県で、死者と行方不明者あわせて88人が出た2011年の紀伊半島豪雨から、きょう(4日)で14年となり、各地で慰霊や追悼の行事が行われました。
29人が犠牲になった那智勝浦町では、井関(いせき)地区の紀伊半島大水害記念公園に遺族らおよそ10人が集まり、那智川(なちがわ)の流域で、豪雨災害が発生し始めた時間とされる午前1時頃、慰霊碑の前に犠牲者の数と同じ、29個のキャンドルを並べ、火を灯しました。

折しも台風の接近に伴う小雨が降る中、遺族らは、静かに手を合わせ、黙とうを行い、夫と孫を亡くした岩渕千鶴(いわぶち・ちづる)さん86歳は「14年はあっという間でした。今は、近所の人たちに助けられて楽しく過ごしていると伝えたい」と語りました。遺族会・元会長の岩渕三千生(いわぶち・みちお)さん64歳は、「時間が経っても、やはり、その瞬間を思い出す。今、日本各地で水害が起きているが、とにかく自分が生き残ることを考えて行動してほしい」と話しました。

そして、午後1時半からは同じ場所で、慰霊の献花(けんか)が行われ、堀順一郎(ほり・じゅんいちろう)町長や遺族ら、30人ほどが参列し、犠牲者を悼みました。堀町長は「那智川流域のハード的な整備は整ってきたが、町全体としては、地震津波への対策もっと強化しないといけない。災害で人命の失われることのない町づくりをすすめていく」と話しました。

一方、14人が犠牲になった新宮市では、田岡実千年(たおか・みちとし)市長や市議会議員らおよそ35人が、当時氾濫した熊野川(くまのがわ)沿いにある道の駅の慰霊碑に、白菊(しらぎく)を供えました。田岡市長は「風化させることなく、災害に強いまちづくりをしていかなければならない」と話しました。
11人の死者・行方不明者が出た奈良県五條市(ごじょうし)では、大きな被害が出た宇井(うい)地区で慰霊祭が行われました。
紀伊半島大水害は、2011年9月に、台風12号の影響で、紀伊半島を中心に発生した豪雨災害で、河川の氾濫や土砂災害、山の斜面が岩盤ごと崩れる「深層崩壊(しんそうほうかい)」が多発し、被害が拡大しました。そして、和歌山で56人、奈良で15人、三重で2人が死亡し、3県であわせて15人が行方不明となりました。
この災害では、気象庁の従来の警報が、必ずしも住民の迅速な避難に結び付かなかったとして、重大災害が起きるおそれが著しく高まった場合に出す「特別警報」を導入するきっかけになりました。